「ママがいい」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚になることがあります。
嬉しい。
たしかに、嬉しいはずなのです。
でも同時に、
どうしようもない重たさや、
逃げ場のない責任のようなものが、
一緒に押し寄せてくることもあります。
母になってから、
この二つの感情がこんなにも同時に存在できるのだと、
私は初めて知りました。
- 1. 「ママがいい」は、世界でいちばん近い場所にいる証
- 2. 代わりがきかない、という重み
- 3. 応えられないときの、罪悪感
- 4. 「ママがいい」と言われなくなる日を、想像してしまう
- 5. 喜びと苦しさは、同時に存在していい
- 6. 子どもは「全部」を求めているわけではない
- 7. 「ママがいい」に、どう応えるかは毎回違っていい
- 8. それでも、心が折れそうになる夜もある
- 9. それでも、この言葉を抱きしめていたい
- 10. おわりに
1. 「ママがいい」は、世界でいちばん近い場所にいる証
「ママがいい」と泣くのは、
この世界でいちばん安心できる場所が、
“ママ”だということ。
それは、
毎日そばにいて、
泣いたら抱き、
眠くなったら背中をさすり、
不安になったら名前を呼び続けてきた結果なのだと思います。
だから本当は、
誇らしくて、
胸を張っていい言葉のはずです。
それでも、
その言葉を真正面から受け止めきれない日があるのは、
なぜなのでしょうか。
2. 代わりがきかない、という重み
「ママがいい」と泣かれるとき、
そこには暗黙のメッセージがあります。
「今は、あなたじゃないとだめ」
「他の誰でもなく、あなたがいい」
それは信頼であり、
同時に、逃げられなさでもあります。
夫がそばにいても、
祖父母がいても、
「ママじゃなきゃだめ」と泣かれると、
選択肢はひとつしか残りません。
疲れていても、
余裕がなくても、
「代わってもらう」という選択が消えてしまう。
その瞬間、
嬉しさの裏に、
小さな苦しさが生まれます。
3. 応えられないときの、罪悪感
どんなに大切でも、
どんなに愛していても、
人間には限界があります。
抱っこをせがまれても、
腕がもう限界なとき。
眠くて仕方がないのに、
なかなか寝てくれない夜。
「ママがいい」と泣かれる声を聞きながら、
「今は応えられない」と思ってしまう自分に、
後から深く落ち込むことがあります。
応えられない自分は、
母として失格なのではないか。
そんなふうに、
必要以上に自分を責めてしまうこともありました。
4. 「ママがいい」と言われなくなる日を、想像してしまう
不思議なことに、
「ママがいい」がつらい日ほど、
同時にこんな想像も浮かびます。
いつか、
この言葉を言われなくなる日が来るのだろうか、と。
自分でできることが増え、
友だちの世界が広がり、
親よりも外の世界を選ぶようになる日。
その成長は、
間違いなく喜ばしいことなのに、
胸の奥が少しだけ、
ひやりとするのです。
今は重たく感じるこの言葉が、
未来では、
どれほど恋しくなるのだろうと。
5. 喜びと苦しさは、同時に存在していい
母になってから学んだことのひとつは、
感情はひとつに決めなくていい、ということです。
嬉しいのに、苦しい。
愛おしいのに、しんどい。
守りたいのに、離れたくなる。
どれか一つが本当で、
どれかが間違っているわけではありません。
「ママがいい」と泣かれて、
嬉しさと苦しさを同時に感じるのは、
それだけ本気で向き合っている証拠なのだと思います。
6. 子どもは「全部」を求めているわけではない
あるとき、
少し気持ちが落ち着いてから、
ふと気づいたことがあります。
子どもは、
完璧な母を求めているわけではない、ということです。
100点の対応。
いつも笑顔。
一切のイライラがない母。
そんな存在を、
子どもは本当は求めていないのかもしれません。
ただ、
「ここにいるよ」
「大丈夫だよ」
という気配を、
感じたいだけなのではないかと。
7. 「ママがいい」に、どう応えるかは毎回違っていい
すぐに抱きしめられる日もあれば、
少し距離をとりながら声をかける日もあります。
今日は無理、と思う日もあれば、
今日は大丈夫、と思える日もある。
その揺れは、
悪いものではありません。
毎回同じ対応ができなくても、
毎日向き合おうとしていること自体が、
十分すぎるほどの愛情なのだと思います。

8. それでも、心が折れそうになる夜もある
正直に言えば、
何度もあります。
「ママがいい」と泣かれ、
抱き続け、
ようやく寝かしつけたあと、
ひとりでそっとため息をつく夜。
自分の時間はほとんどなく、
身体も心も疲れ切っている。
それでも翌朝になると、
また同じ一日が始まります。
そんな日々の中で、
「私、ちゃんとやれているのかな」と
不安になることも、
決して少なくありません。
9. それでも、この言葉を抱きしめていたい
「ママがいい」という言葉は、
重たくて、
苦しくて、
ときどき逃げたくなる言葉です。
でも同時に、
今のこの時期にしか聞けない、
とても尊い言葉でもあります。
だから私は、
この言葉を無理に前向きに解釈しようとはせず、
ただ、そのまま抱きしめていたいと思うようになりました。
嬉しさも、
苦しさも、
どちらも含めて。
10. おわりに
「ママがいい」と泣かれるとき、
私は完璧な母ではありません。
迷い、
ためらい、
ときには応えきれない日もあります。
それでも、
今日もそばにいる。
今日も名前を呼ぶ。
今日も一緒に夜を越える。
それだけで、
きっと十分なのだと、
少しずつ思えるようになってきました。
この言葉に、
いつか距離が生まれる日が来たとしても、
今の私は、
この重みを知っている自分でいたい。
「ママがいい」と泣かれた日々が、
私の人生の、
静かで確かな一部だったと、
いつか振り返られるように。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。