子どもが生まれてから、
「ふらっとカフェに行く」ということが、
とても遠い出来事になりました。
行けないわけではないけれど、
行こうと思うまでに、
準備と覚悟が必要になります。
授乳のタイミング、
お昼寝の時間、
機嫌、天気、荷物。
そうして考えているうちに、
「今日はやめておこうか」と、
家に留まることのほうが増えていきました。
それでも不思議なことに、
カフェに行けない日ほど、
私はカフェのことをよく考えます。
- 1. 行けないからこそ、思い浮かぶ場所
- 2. カフェは「飲み物」以上の場所だった
- 3. 家の中で淹れるコーヒーと、カフェの違い
- 4. 行けない今だから、見えてきたもの
- 5. 想像の中のカフェで、深呼吸をする
- 6. 「行けない」ことは、失ったことではない
- 7. いつかまた、行ける日を知っている
- 8. カフェを思い出す日は、余裕がない日
- 9. 家の中に、小さな「カフェ」をつくる
- 10. カフェに行けない日も、人生の一部
- 11. おわりに
1. 行けないからこそ、思い浮かぶ場所
子どもたちを寝かしつけたあと、
電気を落としたリビングで、
ふと頭に浮かぶのは、
お気に入りだったカフェの風景です。
木のテーブル。
少し低めの照明。
カップがソーサーに触れる、乾いた音。
あの空間を、
今すぐ必要としているわけではないのに、
なぜか思い出してしまう。
行けないからこそ、
記憶の中で、
何度もそこへ足を運んでいるのだと思います。
2. カフェは「飲み物」以上の場所だった
思い返してみると、
カフェに行っていた頃の私は、
必ずしもコーヒーを飲みに行っていたわけではありませんでした。
もちろん、
美味しい一杯を楽しみにしていたけれど、
それ以上に大切だったのは、
そこに流れる時間でした。
誰にも急かされず、
何かを求められることもなく、
ただ座っているだけでいい時間。
母になった今、
その価値を、
以前よりもはっきりと理解している気がします。

3. 家の中で淹れるコーヒーと、カフェの違い
家でも、コーヒーは淹れます。
むしろ今は、
家で飲むことのほうが圧倒的に多い。
お気に入りの豆を選び、
お湯を沸かし、
ゆっくり注ぐ。
それだけで、
十分に美味しいし、
心も落ち着きます。
それでも、
カフェを思い出すのは、
コーヒーそのものではなく、
「自分が誰でもなかった時間」なのだと思います。
母でもなく、
妻でもなく、
何かをこなす人でもない。
ただ、
そこに座っている一人の人間としての時間。
4. 行けない今だから、見えてきたもの
カフェに行けなくなって、
初めて気づいたことがあります。
あの場所は、
私にとって
「自分を整える装置」だったということ。
疲れたとき、
少し立ち止まりたいとき、
考えごとをしたいとき。
カフェという空間が、
自然とそれを引き受けてくれていました。
今はそれができない分、
家の中で、
同じ役割を探しているのかもしれません。
5. 想像の中のカフェで、深呼吸をする
夜、
マグカップを両手で包みながら、
頭の中でカフェを再現します。
静かなBGM。
遠くで聞こえる話し声。
ページをめくる音。
不思議なことに、
想像するだけでも、
呼吸が少し深くなります。
実際に行けなくても、
あの場所がくれた感覚は、
ちゃんと自分の中に残っている。
そう思えると、
少し救われるのです。
6. 「行けない」ことは、失ったことではない
以前は、
「行けなくなった」と思っていました。
でも最近は、
「今は、行かない時期なのだ」と
考えるようになりました。
人生には、
立ち止まる時期もあれば、
内側に向かう時期もあります。
子どもと過ごすこの時間は、
まさにそういう時期。
カフェに行く代わりに、
私は今、
家の中で、
自分を見つめ直しているのかもしれません。
7. いつかまた、行ける日を知っている
「今は行けない」
と感じられるのは、
「いつかまた行ける」と
どこかで知っているからだと思います。
この時間が、
永遠ではないことを、
私はちゃんと分かっている。
だからこそ、
焦らずに、
この時期を過ごせるようになりました。
あのカフェは、
なくなったわけではない。
ただ、少し遠くにあるだけ。
8. カフェを思い出す日は、余裕がない日
振り返ると、
カフェのことを強く思い出す日は、
だいたい余裕がない日です。
疲れていて、
一人になりたくて、
でもそれが叶わない日。
そんなとき、
無意識に、
心が逃げ場を探しているのだと思います。
だから私は、
カフェを思い出したら、
「あ、今、余裕がないんだな」と
自分に教えるサインとして
受け取るようにしています。
9. 家の中に、小さな「カフェ」をつくる
行けないなら、
少しだけ、
家の中に近いものをつくる。
照明を落とす。
スマホを置く。
お気に入りのカップを使う。
それだけで、
ほんの数分、
カフェに似た時間が生まれます。
本物ではないけれど、
十分に、心は休まります。
今の私には、
それでいいのだと思います。

10. カフェに行けない日も、人生の一部
カフェに行けない日々は、
不自由なようで、
とても濃い時間でもあります。
子どもの声があり、
家の匂いがあり、
毎日が続いていく。
その真ん中で、
ときどき思い出す
あの静かな空間。
それは、
「今ここにいる自分」を
否定するものではなく、
そっと支えてくれる記憶です。

11. おわりに
カフェに行けない日ほど、
カフェのことを考えるのは、
自分を大切にしたい気持ちが、
まだちゃんと残っている証拠だと思います。
行けないから、
諦めるのではなく。
行けない今だから、
思い出し、
想像し、
家の中で再現してみる。
そうやって、
自分を保ちながら、
この時期を生きていきたい。
いつかまた、
何も考えずにドアを開け、
席に座り、
コーヒーを待つ日が来るまで。
今は、
想像の中のカフェで、
静かに息を整えています。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願いいたします。