ソムリエ主婦🥂育児のぼやき

長女2歳&次女0歳、ソムリエ資格をもつ29歳専業主婦の日々。ワインを飲むひとときのように、肩の力をぬいてホッとする時間を大切にしたい。

秋服の切り替えと“子どもの成長の早さ”に気づく日

押し入れの奥から、去年の秋服を出した。
少しだけホコリっぽい空気と一緒に、懐かしい香りがふわりと立ちのぼる。
柔軟剤の匂い、赤ちゃんのころに使っていたベビーソープの匂い、
どれも遠くの季節を思い出させる。

小さなカーディガン。
袖口がすり切れかけたワンピース。
あのとき必死に探して買ったアウター。
ひとつひとつ畳むたびに、写真の中の時間がよみがえってくる。

2歳になった長女は、もうすっかり“お姉さん”の顔。
去年の秋は、まだベビーカーに座ってばかりだったのに、
今は自分でブーツを履こうとする。

「ママ、これちっちゃいね」と笑う。
そう、もうその服は小さい。
去年の袖は、もう手首の上で止まってしまう。

■ “去年”という言葉の重み

子どもが生まれてから、「去年」という言葉の意味が少し変わった気がする。
それは時間の区切りではなく、
「もう戻らない小さな姿」を含んだ言葉になった。

去年の秋。
あの服を着て、落ち葉を踏みしめた日のことを覚えている。
小さな靴がカサカサと音を立て、転んで泣いた。
そのあと抱っこして帰る途中、
ふと眠ってしまった頬の温かさ。

すべての服に“物語”がついている。
タグに書かれたサイズの数字よりも、
その服が過ごした日々の方が、ずっと確かな記録だ。

一着一着に物語がある

■ 服の中に残る記憶

子どもの服って、不思議だ。
ただの布なのに、手に取るとあの頃の感情がまるごと戻ってくる。

初めての保育園。
初めての熱。
泣きながらもがんばった日。
どれもこの服たちが一緒に過ごしてきた日々。

私はそれらを“残す派”だ。
収納ケースの奥に小さな段ボールを置いて、
「思い出ボックス」とマスキングテープで貼ってある。
全部は取っておけないけれど、
どうしても手放せない服だけを選んでしまう。

畳むとき、いつも少し泣きそうになる。
たぶんそれは、“もうこのサイズには戻らない”と知っているからだ。

■ 私の母がしていたこと

衣替えのとき、母がいつも小さなため息をついていた。
子ども心に「どうしたの?」と聞くと、
「大きくなったなぁって思って」と笑っていた。

その気持ちが、今になってわかる。
私も同じように小さな服を畳みながら、
同じように笑って、同じように寂しさを感じている。

母がしてきたことを、私も自然にしている。
服を洗い、干し、畳み、次の季節に送り出す。
それはただの家事ではなく、“愛情の継承”だったのかもしれない。

衣替えはただの家事ではない、愛情の継承なのかもしれない

■ 譲るという選択

小さくなった服を、次の誰かに譲ることもある。
友人の赤ちゃんに渡すとき、
「これ、うちの子もお気に入りだったの」と少し誇らしく言う。

布は人の手を渡りながら、また新しい季節を過ごす。
それがなんだかうれしい。
“終わり”ではなく、“つづき”になる感じがするから。

■ 小さな記録を残す

最近は、服を手放す前に一枚写真を撮るようにしている。
ただ服だけを撮る。
壁にかけたり、畳んだりして、
その日の光の中でシャッターを押す。

服そのものよりも、その服を通して感じた季節を残しておきたい。
「この服を着てたころ、こんな顔してたな」
そんな記憶をたぐり寄せる小さなきっかけになる。

優しい記憶を、写真にも残しておく

■ 服を通して気づく、今この瞬間の尊さ

子どもはいつの間にか大きくなっていく。
抱っこしても腕の中におさまりきらなくなり、
靴も、手も、声も変わっていく。

でも、こうして服を通して“時間の痕跡”を見つけると、
その変化をゆっくり受け入れられる気がする。

今着ているこの服も、
きっと来年には「もう小さいね」と笑いながら畳む日がくる。
そのとき、私はまた同じように思うだろう。

「あの頃のあなたも、たしかにここにいた」と。

■ おわりに

衣替えは、過ぎていった季節を送る儀式。
そして、新しい季節を迎える準備でもある。

小さくなった服たちは、
「この一年をちゃんと過ごしたよ」と教えてくれる存在。
だから私は、衣替えのたびに少しだけ時間を止めたくなる。

この服を着て笑っていた日も、
泣いていた夜も、
全部がいとおしい。

次の秋には、どんな景色の中を歩いているだろう。
袖を通すたびに、
子どもの成長と、私の時間が重なっていく。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました📚