1.村上春樹を初めて読んだとき
「ドライブ・マイ・カー」、村上春樹原作が映画化ということで、
春樹好きの私はそのニュースを目にした時から、絶対観に行くと決めていた。
映画の元になった「女のいない男たち」が刊行されたのは、2014年。
私はその頃大学入試を間近に控えた高校3年生で、村上春樹は名前を知っている程度だった。
村上春樹好きの英語の教師がいて、よく授業中に春樹の話をしていたのは覚えている。
高校2年生の時に担任だった。
その教師はある日、「喪失感」とだけ黒板に書き、これが村上春樹の小説に一貫しているテーマだと話した。
眠たい午後の授業で、暑い教室には大きな扇風機が一台回っていた。
女子校で、周りのクラスメイトは流すともなく教師の話を聞き、その話はすぐに終わってしまった。
村上春樹を読んだことがある女子高生はあの教室にどれくらいいたんだろう。
何度か英語の授業の始まりのアイスブレイクで、その教師が村上春樹の話をすることがあった。
女子高校生だった私は「喪失感」がどのようなものか、たぶんほとんど理解できなかった。
今少し大人になって、少し長く生きて色々な痛みを覚えた後で、村上春樹の小説を実際に読むようになると、教師の言いたかったことが少し理解できる。気がする。
その教師はモスグリーンのコンパクトなオープンカーに乗っていて、よく喫煙所でタバコを吸っていた。結婚していたけれど、子供はいなかった。
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大学に進学し何気なく受講した文学の講義で、「ノルウェイの森」が題材に扱われたことで、私は村上春樹の小説を読み始めた。
親世代と話した方がいいくらい、私の周りには村上春樹が好きという人間はいなかったような気がする。
けれど私にはその文体や物語の設定がとても新鮮で、すぐに気に入った。
大学生で時間を持て余していたから、何巻かに分かれた数作ある長編も、一度ではなく何度か読むことができた。
エッセイや短編集も図書館で借りてきて、大学の食堂や実家のベッドに寝っ転がってよく読んだ。
一方で、「ドライブ・マイ・カー」にたどり着いた時には、もうすでに大学を卒業していた。上京し、就職先のワイン商社で働き始めた頃だ。
忙しい仕事と仕事の合間に、休みと休みの合間に、途切れ途切れに読んでいたから、映画が放映されると知って読み返すまで、ストーリーは断片的にしか覚えていなかった。
2.「ドライブ・マイ・カー」を観に行く
映画のロードショーは8月20日(金)で、その一週間前に旦那さんを映画に誘った。
旦那さんは、放映当日の金曜日の夜に仕事が終わったら行こうか、と言った。
私は金曜日の夜に、ワインを開けてゆったりと過ごす時間を想像してしまうと、その提案を退け、土曜日ではどうかな、と提案した。
8月21日の土曜日の朝に、私たちは映画に行くことになった。
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最後に映画館を訪れたのは、「テネット」を観に出かけたときだ。
昨年9月18日にロードショーとなったその映画も、私は旦那さんと観に行った。
クリストファー・ノーラン好きの会社の同僚と映画の話をしているうちに、観たくなって。
慎ましい語彙力でその映画の感想を述べるなら、「すごかった」という一言に尽きる。
でも後日、「テネット」観に行ったよ、すごかった、とその同僚に話すと彼は、いいね、自分もNetflixで観られるようになったら観るよ、と言った。
映画館で観たから「すごかった」のに。
それでは最後に映画館で邦画を観たのは…
「マチネの終わりに」だ。
2019年11月に公開され、原作を読んだあとで観に行った。
懐かしい。どちらも秋の頃、観た映画たちだ。
3.北海道を走りたくなる
さて8月21日は雨降りの土曜日だった。
8月になって灼熱と言える山梨の夏を初めて過ごしていたのでその涼しい雨は束の間の、中休みのようだった。
霧島れいか扮する主人公の妻、音と主人公とのベッドシーンから、映画はスタートする。
詩的なシーンだ。
けれど村上春樹をスクリーンで表現するというのは、なかなか難しいことなのかもしれない。どこか技巧的というか、作られたもののように思えた気もする。
前日に短編集「女のいない男たち」から「ドライブ・マイ・カー」のみ、予習と復習をかねて読んでいたから、大体のストーリーは頭に入っている。
一方で、映画本編は所々設定が違っていた。
「女のいない男たち」では表紙にもなっている、主人公の愛車が黄色ではなく赤だったり(*1)、死んだ妻、音の職業が女優ではなく脚本家だったり、舞台が東京ではなく広島(*2)だったり、なんだりかんだり。
(*1):記事を書いた後に調べたところ、監督が「赤の方が素敵やん」ってなったみたいです。参考まで。
(*2):こちらも執筆後確認したら、東京では車の走行シーンを自由に撮影できないとみたようで、当初韓国の釜山をロケ地に決めていたそうです。コロナで海外ロケが叶わず、広島になったとか。参考まで。
さらに劇中のラストでは、原作では描かれていない、北海道への長距離運転のシーンを観ることができる。
北海道。
北海道と、村上春樹。
北海道と、ドライブ。
未知なるものとの出会いのような響きを含む、魅惑の取り合わせである。
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前述の通り、村上春樹の「風の音を聞け」を読んだとき私は大学2年生だった。
「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」と読み進めるうち、私は生涯一度も訪れたことのなかった北海道への旅券を買い求めるに至った。
二十歳になる直前の長い夏休みのことだった。
懐かしい。
当時、実家のある宮城県に住んでいたので、仙台港から苫小牧へ行けるフェリーに乗って、秋に片足入れた8月の終わりの北海道を訪れたのだった。
どうしてだろう、夏の終わりの北海道というのはもの寂しくも、心惹かれるものがあった。
今でもそう思う。
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北海道上十二滝村。主人公の車(サーブ900)を運転する渡利みさき(三浦透子)の出身地という設定。
劇中ではメイン舞台となった広島から、北海道上十二滝村まで車を走らせるシーンが後半の見どころのひとつでもある。
雪の降り頻る、冬の日に。
映画で観たそのサーブ900はターボ車で、車としての最低限のもののみの機能を搭載したような車に見えた。
走る、止まる、曲がる。そういう基本的なことを、基本的な姿勢でそつなくこなす。
エンジン音はとびきり良い。エンジンをかけると唸り、車体が眠りから起き出す。そういう気持ちのいい雰囲気を感じるような音がなった。
スクリーンの物語の中で赤のサーブ900は、広島から北海道までの片道約2,000kmを走り切ったわけだ。
往復で4,000km。
Googleマップで調べると、片道は丸1日とちょっとかかるらしい。
本州を出るときにフェリーに乗るだろうから、実際には片道で丸2日ほどかかっているはずだ。
我が家のホンダのストリームが、2006年製で13,000kmを走行しているけれど、にしてもほんの数日で4,000kmというとちょっとした数字だなぁと、映画を観終わった後も感心してしまった。
渡利みさきは私と同じくらいの年齢の設定だったはずだけれど、それくらいの年の女性が一人で運転するには、もう凄まじい距離だ。
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冬の北海道と言えば、ある年の始まりに、網走を訪れたことがあった。
2月になればオホーツク海に流氷がやってくるのが見られたが、冬休みの関係でその時期は逃した。
特に何か目的があったわけではない。
旅行に関する書籍も用意せず、飛行機と電車と宿だけ取って赴いた。当時も仙台から札幌に飛び、たしか札幌から電車で網走に入った。
ただ静かに降る雪と凍ったオホーツク海を見て、宿で美味い海鮮の懐石を食べ日本酒を飲み、温泉に入って帰ってきた。
真冬に、その北海道の外れの町に行けば、何かが変わるか、もしくは何かが分かるようになるような気がしていた。
21歳になったばかりだったからかもしれない。
本州と北海道とを隔てる絶妙な距離感と季節のずれ感が、日々囚われている時間の感覚を麻痺させ、ものごとを違う視点から前向きに考えられることを、ひそかに期待していたのかもしれない。
真冬の網走を訪れてから、約4年が経った。
今でもなぜか村上春樹の作品に触れると北海道行きたくなる。
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物静かな長距離運転好きが「ドライブ・マイ・カー」を観たならば、私と同じように黙々と長い距離を運転したい気分になるかもしれない。
劇中、主人公の家福とドライバーの渡利みさきも、車内ではほとんど会話を交わさない。
4.後日談
そういえば、家に帰ってから、「女のいない男たち」の「ドライブ・マイ・カー」以外の物語も読み返しました。
映画では短編集に収録された物語の断片を、少しずつ反映させていたのですね。
あらすじは、公式サイトをご参考に。
それでは、また。